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阪神・淡路大震災/兵庫県南部地震-我家、全焼-私の人生劇場part2

まいど、おっさんバーテンダーです。
最近、内容が重たいけど…
あと1回分程だけ辛抱を(汗)

第10回エッセイ・ブログ大賞にエントリー中
クィックしてくれたら喜びます^^;)

 

今日は、神戸の震災のことを書くので…
これは、私個人だけの「笑える貧乏話」とは違って
沢山の方が経験されて、
又、私以上に辛い目に会われた方も沢山居られるので
普通に真面目に、書きます。

■1995年(平成7年)1月17日5時46分

今から22年前・・・・。
1995年(平成7年)1月17日5時46分、
あの「阪神・淡路大震災」兵庫県南部地震が発生しました。


画像提供:神戸市

阪神・淡路大震災
死者 : 6,434名、行方不明者 : 3名、
負傷者 : 43,792名

避難人数(ピーク時): 316,678人

住家被害 : 全壊104,906棟
半壊144,274棟、
全半壊合計249,180棟(約46万世帯)、
一部損壊390,506棟

火災被害 : 全焼7,036棟、
罹災世帯8,969世帯

その他被害 : 道路7,245箇所
橋梁330箇所
河川774箇所
崖崩れ347箇所

被害総額 : 約10兆円規模

 

 

兵庫県南部地震は、
戦後に発生した地震災害としては、
東日本大震災に次ぐ被害規模であり、

又、戦後に発生した自然災害では、
犠牲者の数で伊勢湾台風の5,098人を上回り、
東日本大震災が発生するまでは最悪のものだったそうです。

 


当時、私は兵庫県の長田区という処に住んでいました。
全国最大のシェアを占めるケミカルシューズ産業が盛んで、
中小企業だけど沢山の工場が建ってあり
沢山の「町の社長さん」がいる活気のある町、それが長田でした。

当時、私は第二期shot-Barをやっている時で
その日も、常連の男連中と朝まで店で他愛のない話を語りあっていました…。

あっ、ちなみに19歳の時に家を出て、就職後も一人住まい、
Barを始めた時も一人住まい、家が無くなった時もBarで一人住まい(笑)
約10年程、一人住まいだったんだけど
結婚をして、長田に舞い戻って来ていました。

ォ・ォぉ~~~~~~ン」

長田からは、車で40分位の処に店はあったのですが
突然に縦に揺れた気がしたのを覚えています。
「揺れる…」というより「抜ける」という感覚。

もちろん、グラスや、ボトルが棚から落ち割れましたが
(その後も、何度か揺れましたが)
「あぁ~地震だったんや…。ボトル割れちゃったなぁ…。」
そのぐらいの思いしかなかった記憶が残っています。
その後、長田に着くまでは…。。。

 

■家が…燃えている。

 

地震があった後、同じビル内にテレビを置いている
同年代の男の子がやっているパブがあったので
その店にお邪魔して
「地震大丈夫やった?」
「グラスやボトル、割れんかった?」
って普通に話をしながらTVを見ていたら





どのチャンネルも地震のニュースばかりだったのだけど
あるチャンネルでヘリコプターを使って上空からの映像が流れていました。

今、振り返ると偶然とは呼べない事に思えて仕方ないんだけど
そのヘリコプターからの非情な映像、

真っ赤な火の手があがり、どす黒い煙がモクモクと出ている映像の
煙と煙の間から、見たことのある町の風景が写っていた…。

どう見ても昔、通っていた中学校周辺の映像だった。

(私の家は、その中学校から徒歩5分程だったので)
目で中学校からの通学路を辿っていったら、、、

ちょうど家があるあたりも、真っ赤な炎と、どす黒い煙が映っていた。

画像提供:神戸市

 

「えっ」

そこから、たぶんそれまでで一番早い動きで店を閉め
車に飛び乗り、長田に向かって出発したと思う。

店にいる時は、確かに「大きな揺れだ」とは思ったけれど
そんな大事になっているとは思わなかった。

途中、携帯で家族に電話をしたけれど、誰も全く繋がらない。
というか、携帯自体が変になっていた。

■トンネルの向こうは見たくなかった。

 

店を出て、暫くは普通の風景だった。
車の数は、長田に近づくにつれ多くなっていったけど、
周りの道路、ビル、家はそんなに変わってなかったように見えた。
(後で分かったことだけど、この辺りもライフラインは寸断されていた)

で、通常なら家まで20分で着くと思う場所辺りから信号が動いていなかった。この辺りから、車が渋滞して殆ど動かなくなった。

 

そして、普段なら端から端まで1分もかからない短いトンネルがあり、そのトンネルを潜り抜けたら、あと10分程で家に着くというそのトンネルを渋滞の中、どうにか抜けた時、
「悪夢!」と思いたくなる「現実」があった。

 

 

画像提供:神戸市

 

辺りが
えていた・・・・。
入り口から出口が見える短いトンネルの入り口側と出口側で
全く風景が違っていた・・。
出口側は、
焼け野原
だった。

 

私は、戦争は知りません。
でも、社会の教科書に出てくる「焼け野原」の写真と同じだった。

普通に建っている建物は全くなかった。
崩壊しているか。燃えているか。

道の上にも建物が倒れてきているから、
どこが道路なのかすら分からなかった。

 

現在の状況を把握したくて
ラジオを聴きながら運転していました。

「死者●●人、行方不明者100人」
暫くすると
「死者●●人、行方不明者200人」
又、暫くすると
「死者●●人、行方不明者300人」

人数の詳細は、忘れてしまったけど
(もちろんあってはいけない事ですが)
こんなニュースの時は、
死者の人数が増えてしまった時は、
行方不明者の人数が減っていくはずですよね…。

でも今回は、亡くなった人の人数も増えてしまっているのに
それ以上に行方不明者の人数がどんどん増えていってました。

もうひとつ、「阪神高速」という大阪と神戸を結ぶ高速道路が
崩壊して横転したという驚きの嫌なニュースが流れました。

「いったい、どないなってるんや。」

普段は40分もあれば家に着く距離を3時間強程かかって
やっと、家付近まで帰ってこれました。
その頃には、火も鎮火まではいかないけど、だいぶ小さくなっていました。

何故、火が小さくなっていったかって。
町一面、建物がなくなっていたから。。。。。
もう燃えるモノが殆どなくなっていたからです。

消防車は、来てました。
頑張って消火活動して頂いたと感謝しています。
只、水がなかったんです。
消火栓の水が足らなくて、消防車の数が足らなくて
せっかく消防車が来てもホースから水が出なかったんです。
だから、燃えるだけ燃えて燃え尽きて鎮火していったんです。

画像提供:神戸市

 

兵庫県南部地震の火災は、停電後の復電(通電)による電気火災が大きな原因であったと言われている。

電気火災は、多数の個所で一斉に発生する場合が多い。
又、地震により水道管が破壊されてしまい消火用水が供給できない。
崩壊した建物が道路に重なり緊急車両の通行を阻害する。
など悪条件が重なり、被害が拡大していった。

 

■家のあった場所が分からない。

 

万に一つも在ってはいけない事ですが、
本当にあってはいけない事ですが
もしも、自分の家が火事になってしまったとします。

もし、その時貴方が仕事で家にいなかった場合
自分の家の前まで、出来るだけ早く駆けつけ
家族の安全を確かめ、家の中から燃え残った大事なモノ、
想い出の品を運び出そうとするはずです。

私の場合も、そんな気持ちで車に飛び乗り、
時間は凄く掛かってしまったけれど家付近までやってきました。

でも、

でも、

自分の家があった場所が、わ・か・ら・な・い・

こんな事は、想像もしてなかったけれど、
家のあった場所がわからない。
町全部が燃えてしまって、建物が崩壊し燃えた木材で道路も塞がれ
いったいどこに”元”家が建っていた場所か暫く分からない。




結局どうにか”元”自宅が建っていた場所を見つけられたのですが
どうやって自分の家が建っていた場所を見つけられたと思います?

コンクリートで出来た電柱のお蔭でした。
「あの電柱の斜め向かいと、この電柱の間ぐらい…」
みたいに探して、殆ど燃えちゃってたけど
僅かに残った想い出の品のカケラを見つけて
「あっ。見覚えのある皿やコップや。やっぱりこの辺りが家だった」
そんなあり得ない状況で家の跡を見つけました。

画像提供:神戸市

 

自宅で50cm四方の家庭用耐火金庫を使っていました。
その中に家の権利者や、保険関係などの書類を入れていたので
必死で探し、やっと見つけ鍵は見つからなかったので
ガスバーナーを使って金庫を開けた記憶があります。

さて、中身は
全て「」でした。
なんでも、耐火金庫というのは、もし火事になっても消防車が来て消火活動をして鎮火するまでの時間持てば良いそうで、今回のようにずっと燃えるものがなくなるまで燃えた場合の保証はないということでした。
そして、我が家で使っていたランクの耐火金庫では中身が蒸し焼きとなり灰になってしまってました。

 

「みんな生きてさえいれば、どうにかなる」

 

でも、

でも、

でも、

家族は、いない。

周り見渡しても家族はいない。

ニュースでは、被害が尋常じゃない。のに、家族が見つからない。
辺り一面、見たことがない風景。なのに家族が見つからない。

け・れ・ど・

長田は、人情味に溢れた町です。

みんな家がなくなって大変なときに
方々で情報を教えてくれました。

「●●小学校にこの辺の人は避難しているよ」
「●●公民館にも、避難しているよ」

そして、

そして、

そして、

無事、再会できました。

家が無くなろうと、そんな事はどうでも良い事

「みんな生きてさえいれば、どうにかなる」

この言葉の重みを身をもって感じたときでした

 

そうです。こんな事、誰も起こると思わなかった。
こんな悪夢みたいな出来事、
こんな不幸、
一体、私達は「何、悪いことしたんや!」
って思ったことも多かったけど、

まだ、私達はマシでした。
沢山の方が亡くなってしまいました。

私の友達や近所の方も、怪我をした方は沢山居られたけど
本当に運良く、亡くなってしまった方はいませんでした。

長田は、地震後の火事で沢山の方が家を失いました。
灘の方の方は、地震の揺れで家が崩壊し、
沢山の方がお亡くなりになってしまいました。

自然災害だから、防げない。
そう言われたら、身も蓋もありません。
兵庫県南部地震の後にも、東日本大震災、熊本地震、など
本当に嫌な出来事が続きます。

でも、みなさん頑張って下さい。
私なんかより、何倍も何倍も大変な目にあった方も多いと思いますが
「頑張ってください」って言わせて下さい。

 

小さな幸せをひとつひとつ見つけて、繋いでいったら
大きな幸せと同じような気持ちになることも出来るはず。

辛い事を考えるのは夜だけにして
日中は、楽しい事を考えて下さい。
いろんな事を考えないといけないけど、ずっと考えていたら
心が持たない。潰れてしまいます。

 

 

20年経ち、やっと震災について
書けるようになったおっさんバーテンダーからの一言でした。

 

 

 


今回も、最後までお付き合い頂きありがとうございました。

もうひとつ大きな出来事…。
私の人生劇場第3話「デベロッパー倒産で店が無くなる」
に続くよぉ…。

 

いやぁ、しかし…主人公をやめたい時も、多々あるなぁ…。


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ブロトピ:こんなブログ更新しました(o^▽^)o)ペコッ

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